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History of The Sigma

50年の歴史の始まり!

 

 さかのぼること約50年前、シグマは1973年に結成されました。最初の出会いは、リード中村とドラムス菊地の出会いから始まります。

 

 この「運命!?の出会い」の冗談のような詳細は「シグマ30周年記念ライブCD」のライナーノートに記したとおりですが、実はシグマ5人のメンバーのうち4人が小学校からの同窓生なのです。

 東京郊外の某市にある同じ小・中学校に通い、中学のときに、卒業生を送る会でドラムス菊地とマエストロ若松が他の仲間とエレキ・バンドで演奏したのを卒業の当事者である、リード中村とその弟で2級下のリズム中村が聞いていたのがきっかけとなっています。そのときの演奏はとても聴けたものではありませんでした。

 

 当時エレキ・ギターは持っている人がほとんどいなくて、苦肉の策で、クラシック・ギターのサウンド・ホールにレコーダーのマイクを突っ込み、それをステレオで拡声するというあきれたもので、ドラムもダンボール箱を叩いたような音のする代物。シンバルは鍋の蓋をた叩いているようなものでした。演奏技術もなく、リズム・コードとリードを合わせることも(リズムがAで弾いていて、リードがCで弾いているような感じ!)知らない状態です。

 とんだサプライズもありました。途中で演奏がわからなくなったマエストロ若松が突然、とんだ行動に…!後は秘密です。(興味のある方は、本人に聞いて下さい)

 

 そんなこんなでずいぶんと中村兄弟の印象に残ったようです。

 

シグマ結成

 

 その翌年、リード中村とドラムス菊地の奇跡の出会いからシグマは始まりました。「シグマ」の名前の由来は、当時バンド名を考えていた菊地が高校の数学の時間に習っていた「Σ」記号に悩まされていたため、それを「喰ってやる!」という意気込みで「ザ・シグマ」と名付けました。

 当初は「TheΣ」と表記していました。

 現在のロゴは1977年の5周年記念ライブ・アルバム制作時(LPレコードを作ってしまいました)から使用しています。アルバム・ジャケット・デザイン及びロゴはやはり同級生の女性です。

 中村兄、菊地二人のユニットに程なくリズム中村が加わりシグマの原型となります。

 

名古屋だぎゃ~!

 

 暫くすると当然のようにベースが欲しくなります。当時はあまりベーシストは多くありませんでしたが、菊地が高校のクラス・メイトにベースを弾いている、そしてベンチャーズが好き!と話していた友人を思い出します。

 それが名古屋出身の、ご隠居丹羽でした。

 ふたつ返事で参加が決定。シグマのメンバーが揃いました(当時まだマエストロ若松は未参加)。意気投合したシグマの練習が始まり、レパートリーを増やして行き、文化祭などに出演し始めました。

 結成の翌年から小金井公会堂大ホールにて7年にわたる定期演奏会が始まります。 

 

シグマ分裂!マエストロ若松はギタリストだった!

 

 鉄壁のチームワークを誇るシグマですが、一度分裂をしたことがあります。1974年、結成から一年目にちょっとした行き違いから分裂が起き、中村兄弟、丹羽組と菊地組にわかれて活動を始めました。この時に菊地が新規メンバーとして誘ったのがマエストロ若松。当時マエストロ若松はリード・ギターとして参加(実は彼、ギターも弾けるのです!ニューテスタメントの「愛する二人」を弾いていた記憶があります)。

 翌年の春には小金井公会堂にて1日違いで両グループがコンサートを行うという大混戦がありました。

 

再結成、ドゥービー・シグマ

 

 そうは言いながら、皆ベンチャーズ大好き少年で、菊地と丹羽は同級生、中村兄弟は同窓生ということで、その年の夏には仲直り!

 とうとう2つのバンドが大連立しました。ここでシグマにマエストロ若松がキーボードに転向して参加。

 ドラムスが2人というドゥービーブラザーズのようなWドラムバンドとなりました。この頃スプートニクスなどの曲にも挑戦しております。「Wドラム」の「ファイアー」などはど迫力(大音量!?)で、たびたび騒音で苦情をいただきました(笑)。

 定期公演、成人式への参加など積極的に活動していたのもこの頃です。75年に学業に専念するため一方のドラマー、コバさんが脱退し、今のシグマの形が出来上がりました。

 

本家ベンチャーズのMC来る!

 

 大きな思い出になったのは1977年の小金井公会堂の定期公演です。

 この時、東芝レコードでベンチャーズのプロデューサーであった佐藤恒夫氏のご協力を得て、シグマ・コンサートのMCを、1971年のベンチャーズのMCを担当した、宇月陽介さんがやってくれたのです。

 そしてゲストには次のベンチャーズ専属MC、河野嘉之さんも駆けつけていただきました。(この時のライブがLPレコードになっています)。

 そしてその年の夏、日本公演のために来日したベンチャーズを楽屋に訪ね、このLPレコードをプレゼントさせていただきました。当時としては感動的なよい思い出です。

 

神奈川県民大ホールでライブ!

 

 また1978年8月にはシグマ最大のステージがありました。

 会場は神奈川県民ホール。ある福祉団体の大会にゲストとして招かれ、2000人の聴衆の前で演奏。PAは何と、解散コンサートのツアー中だったジャニーズ事務所の「フォーリーブス」のクルーが神奈川県民ホールに立ち寄り、素晴らしい音響を担当してくれました。(これ丹羽さんのコネです)。

 また夏のまっさかりに吉祥寺で開催された野外イベントのヨット・ショーでベンチャーズを演奏。目の前の東急百貨店からの騒音苦情で途中中止となるハプニングも思い出となっています。

 80年代に入ると、国立にあるライブハウスにて「ビートルズ・ベンチャーズ・デイ」の常連となります。

 

再始動!

 

 1986年頃からそれぞれの仕事が忙しくなり、ここから10年ほど、ほとんど活動が出来なくなる時期がありました。

 

 そして10年を経た後、結成25周年を記念したCDを作ろうという話が盛り上がり、再度活動を再開。国立芸小ホールを借りきり、お客様のいないライブ盤を録音しました。

 これがアルバム「Departure」です。 

     

 その後、たまたま雑誌記事で拝見した「ベンチャーズ倶楽部」の活動を知り、そこに加えていただきたく、練習を再開。

 2003年には「結成30周年記念コンサート」を国立芸小ホールにて開催。このときのPAが「サン・フォニックス」さんという会社で、本家ベンチャーズのPAも担当したことがある、日本でも有数の音響会社です(これはヒーラー菊地のコネ!?)。

 シグマは恵まれていて、いつも大きなコンサートでは日本でも5本の指に入るPA会社さんにいい音出していただいています。(演奏は別ですが…爆)

 2009年には「V倶楽部」のお誘いで「ベンチャーズ倶楽部10周年記念コンサート」に参加させていただき、オープニングで演奏いたしました。動画コーナーにその模様がアップされています。

 

 2010年に「もうすぐ40周年記念アルバム Memories of Time」を完成。翌年から「40周年記念アルバム」の制作にとりかかり、2013年末にレコーディングが終了。2014年夏に40周年記念アルバム「Memories of Time2」が完成!

 

 2013年8月に再び、国立市芸小ホールで開催された、V倶楽部15周年「History of The Ventures」では1970年代スタイルの代表として演奏をさせていただきました。

 

 そして2014年4月20日(日)40周年記念コンサートを国立市と東京都薬物乱用防止推進国立地区協議会の主催をいただき「くにたち芸術小ホール」にて盛大に開催!協力をいただきました「国立市」、「東京都薬物乱用防止推進国立地区協議会」、「㈱井清壽」「㈱サンフォニックス」様には感謝しております。そして何より会場を満席にしていただきました多くの皆様に心から感謝いたします。

 

 2016年からV仲間の皆様とライブをさせていただく機会に恵まれ、ちょこちょこと活動しております。

 2018年は結成45周年を迎えます。

メンバーはまだまだ忙しく活躍中なので、大きなコンサートは企画しておりませんが、ライブには顔を出させていただければと思っております。

 

2019年。春と秋にライブ出演。そして年末にもボランティア団体のアトラクションにも参加予定です。

 

2020年、歴史に残る「コロナ・ウイルス・パンデミック」によりシグマも活動を停止せざるを得なくなり、寂しい一年となりました。

 

2021年も引き続き、自粛が続いておりましたが、11月には練習を再開いたしました。シグマにとっての「新曲」も積極的に取り入れ、まだまだ新規アップデート中!

 

2023年には何と!「結成50周年」を迎えます。

変わらずの応援宜しくお願い申し上げます。

 

ますます楽しい音楽ライフが続けられますように頑張ります。

 

 

 皆様これからも宜しくお願いいたします。

 

 素晴らしい仲間に囲まれ、充実した音楽人生だと思っています。